
2009年10月25日
宮口神社と棒の手

何故、「らしい」なのか・・・?
僕が直接本人から聞いたわけではなくお寺の資料がそうなっとった。
写真中にある長田がそれだ。
今は訳あって、


棒の手は僕のひい爺さんが家元のスーパーサブとして廃れかけの鎌田流棒の手を再興したらしい。
今でこそ県の文化財となっとるが、僕のひぃ爺さんの世代のお陰だとおもっとる。
しかし、僕は棒の手は出来ん!
子ども会の児童過多による分裂で声が掛からなかった。
声が掛かったのは宮口神社近辺の小学生有志。
同じ宮口一色でも30代では棒の手が出来る・出来ないがいる。
昔は子供会が1つだったので声掛けがスムーズだったけど、分裂が全て・・・。
親父が家元に子供会が分裂した旨を伝えて全ての会にこえ掛けするようにお願いしたけど、分裂した事実を知らないので寝耳に水だったらしい・・・。
もしかしたら僕、声掛かってたかも・・・?小学生の記憶はございません

「やー・とー」より剣道が面白かったかも・・・。
もし、声が掛かっていたなら・・・、今更ながら後悔しちゃう!
最後に今日は偶然にも猿投神社も棒の手の奉納があったらしい。
宮口の由来は写真にあるように猿投神社のお宮の入り口から来てる。
宮口⇒猿投神社で棒の手を見学できたら歴史上素晴らしい事だと思う。
Posted by 華玉山 依芽呂または、華珠家 舞芽鷺 at 23:40│Comments(0)
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