天皇賜杯の無い場所が始まる
いよいよ、騒動の中、大相撲名古屋場所が始まる。
昭和3年初場所からラジオ放送されて以来、戦後にはテレビ放送が始まり、昭和30年代には民放局もきそって中継してきた大相撲中継が無い・・・。
柔道や剣道など、日本の文化でもある競技には、阿吽(あ・うん)の呼吸で技を仕掛ける・・、勝負に出るという、サッカーや野球には無い醍醐味がある。
相撲の場合だと、立会いまでの仕切りの時間。
あれこそ、阿吽の醍醐味。
中継が無かった大正以前までは10分~20分間仕切りを繰り返す事が当たり前になってました。
その間に、両者の呼吸が合えば立ち会う。
このイジらしくも1回1回息を呑む感じが大好きだったけど、今場所はダイジェスト放送のみ。
ただ、漠然と勝敗を付ける放送となるところに、疑念と、協会の体たらくを感じざる得ません。
さてさて、何もかもが謹慎の名古屋場所。
燦たる天皇賜杯も受け付けない事態になってしまいました。
最初は摂政賜杯といわれた、この天皇賜杯。
相撲大事典によると、昭和2年5月場所から、今の天皇賜杯と呼ばれるようになった。
天皇賜杯と呼ばれて最初に抱いたのが、時の横綱常ノ花寛市(第31代横綱。大正13年5月新横綱)
後の力士出身初の理事長となる、出羽海理事長です。
大正末から今まで、千秋楽には欠かせない存在の天皇賜杯が今場所は無い。
ファンも寂しいけど、何より歴代の優勝力士の魂の篭った賜杯を抱けない。
もし、今場所、初優勝力士が出て、それが平幕優勝(前頭~枚目という地位)で、生涯唯一の優勝だったら・・・。
優勝力士が浮かばれないよなぁ・・・。
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